任天堂関連施設を紹介

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任天堂ファンにとって京都は聖地といえるエリアである。

私も漏れなくファンのうちの1人だが、ネットの世界にはあんなにも身近にたくさんの同士がいるにも関わらず、不思議なことに現実世界には聖地巡礼までしてしまうファンは意外と少ない。

今回は私が実際に訪れたことのある任天堂の関連施設(聖地)をメインに紹介していこうと思う。
本記事は2020年4月に投稿、以降時々更新している。既に古い情報となってしまっている場合もあるので、その点はご了承いただきたい。

本社開発棟

任天堂といえばこの景色!」と言う人も多いのではないだろうか。画像は本社開発棟の入り口である。
観光シーズンであれば任天堂前で記念撮影する外国人がいることもある。任天堂ファンにとっては京都旅行の際はぜひ立ち寄りたい場所だ。

開発棟は2014年に完成。見慣れた景色だが後述する施設と比較すると歴史は浅い。
設計は日本設計が行っており、日本設計の公式ホームページにも実績として記載されている。

一般人は当然ながら内部を伺い知ることはできず、任天堂の社員や任天堂と取引があるなどビジネス上関係のある立場にでもならない限りファンの夢は叶わない。

かつては株主総会の会場として使用されており、任天堂の株を購入すれば正規ルートで潜入可能だった。最高級のファングッズといっても過言ではないが、現在は株主の増加から外部の会場を借りての開催となっている。今後本社で開催される年があることを願いたい。
私も2023年の株主総会に出席しており、以下記事にてその当時の様子を残しているのでぜひご一読いただきたい。

その他、本社で開催された際の株主総会のレポートをあげている方々もいる。過去数年分の中で面白かった記事をピックアップする。

4代目社屋

開発棟に隣接するもう一つの建物が任天堂本社。現時点で最新の任天堂社屋となる。

内部の様子は任天堂の公式記事でたびたび公開されていた。

おどるメイドインワリオの説明書16ページ目には本社らしき建物が。

創業当初家屋(初代社屋)

※本社屋を初代社屋とするべきか明確ではないが、本記事では初代社屋とする。
 本社屋を起点に4代目社屋までをカウントしている。

創業当初の初代社屋の写真は翻訳などを行っているFlorent Gorges氏が2年ほど前に公開していた他、同時期のヤフーニュースにも記載されていた。
(ヤフーニュースについては現在は削除されてしまっている)

立地についてだが、山内ファミリー公式アカウントにより、創業当初の情報が以下の通り一部公開されている。

このポストの内容は主に次項2代目社屋についてだが、2代目社屋の所在が“創業地の家屋の隣”とされているため、これら2つの社屋は隣接していたことになる。

実際に地図を確認すると、確かに丸福樓に隣接して山内任天堂が存在していることが分かる。南側が2代目任天堂社屋(丸福樓)であるため、北側が創業当初の家屋となる。
※位置関係については後ほど整理する。

2代目社屋(丸福樓)

こちらが創業当初家屋の南側に位置する2代目社屋である。
上記山内ファミリーのポストの通り、1933年に2代目社長の山内積良氏によって創業時社屋の隣に建設された。

丸福のロゴやトランプカルタと記載された合同会社山内任天堂時代のプレートなど当時の任天堂を想起させるような佇まいが特徴だ。
※写真は2020年3月時点2022年4月以降は丸福樓として営業されている。

丸福とは

創業者山内家の屋号であり、任天堂が製造する花札には品質担保の意味も含めてこのロゴマークが印字されていた。
かつての任天堂の社名の中には「株式会社丸福」と丸福の名を冠している時代もあり、任天堂のワードの中でも重要なワードの1つである。覚えておこう。

“福”を○で囲ったロゴ

ちなみに、現在製造されている花札にも丸福のロゴマークの印字がなされている他、任天堂のゲームの随所で見掛けることもある。何気なく使用されているのでスルーしてしまうこともしばしば。

あつまれどうぶつの森内にも丸福は登場している

今では丸福樓として一般人が内部に入れるようになったが、それ以前は一般公開はされていなかった。

ただ、かつての建物のオーナーで灰孝本店の社長でもある山内一正氏と京都のミニツアーを主催するまいまい京都によって内部を見学できるツアーが開催されたこともあり、内部を見学する機会が全くなかったわけではない。
※灰孝本店については後述する。

上記ツアーとは無関係だが、なぜか内部を公開しているサイトもある。撮影できた経緯は不明。

旧社屋(丸福樓)は任天堂公式ホームページ内の会社沿革にも記載がある。

創業当初社屋、2代目社屋について

創業当初社屋と2代目社屋の位置関係についておさらいしておこう。
丸福樓のラウンジには丸福樓全体をブロックで再現した模型が飾られている。
この模型をもとに位置関係を整理すると以下の画像の通りとなる。(画像は右側が北、左側が南)

画像左(地図上は南)の建物が本記事内で2代目社屋としている社屋、
画像右(地図上は北)の2棟の建物が創業当社の社屋である。

グレーの建物は丸福樓として開業する際に新たに建設された新設棟だ。

3代目社屋(マリオクラブなど)

2000年まで本社として使用されていた社屋。最寄り駅は鳥羽街道駅である。
現在はリサーチセンターやテストプレイチームでもあるマリオクラブの社屋として使用されている。また、2003年~2013年にはファイアーエムブレムシリーズなどで有名なインテリジェントシステムズも入居していた。

4代目社屋への移転に際して下記のような記事も公開されている。

マリオクラブ株式会社の公式ホームページ内にも本社屋の写真が使用されている。

ニンテンドーミュージアム(宇治小倉工場)

近鉄京都線小倉駅のすぐ近くにあるのが宇治小倉工場である。

N.O.Mに宇治小倉工場に潜入したレポート記事が存在している。トランプや花札の製造を行っていたようだ。

既に工場としての機能は果たしておらず、現在は「ニンテンドーミュージアム」として生まれ変わっている。

周辺にはニンテンドーミュージアムの開業に合わせて運行を開始した宇治小倉線 64号が巡回している。本数は多いとは言えないが、近鉄京都線小倉駅からJR宇治駅を結んでいる。
残念ながら次項の宇治工場は通過しないが、徒歩で移動するよりは楽になるので、利用も視野に入れよう。
当路線に64号の数字が当てられたのは果たして偶然なのだろうか…

宇治工場

宇治小倉工場と似ているが、こちらは宇治工場。立地は奈良線の宇治駅が最寄りとなる。前項の通り、宇治小倉線 64号は通過しない。

少しややこしいのだが、ニンテンドーミュージアムとなった宇治小倉工場が建設当初は宇治工場の名前を冠しており、後に本施設が建設された際に、宇治小倉工場に改名。宇治工場の名前は本施設に譲られている。

2016年11月には宇治小倉工場(現ニンテンドーミュージアム)のメイン業務を宇治工場へ移したことで、宇治小倉工場の役目を引き継いでいた。

宇治駅から京都駅へ戻る途中にスターフォックスのアイデアの原点とも言われている伏見稲荷大社や前述した3代目任天堂本社(最寄り駅は鳥羽街道)に寄ることも可能だ。

四条通地下道

烏丸駅~京都河原町駅の間を結ぶ地下道の10番出口~11番出口間の壁に設置されている。
京都河原町駅はNintendo KYOTOの最寄り駅でもあり、Nintendo KYOTOと連動した装飾展示である。

左右どちらにも施されており、初代スーパーマリオブラザーズの世界観Newスーパーマリオブラザーズなど近年のマリオアートワークを使用した世界観に分かれている。

近年の任天堂ではお馴染みの隠れピクミンが描かれている他、このエリアだけマリオのBGMが流れており非常に賑やかな空間となっている。Nintendo KYOTOを訪れる際はぜひ地下道も見逃さないようチェックしてほしい。

東京支店

写真は2014年時点のものであり、2020年9月に東京支店はKANDA SQUAREへ移転している。自社ビルではなく、テナントビルのため、任天堂のロゴなどは特に見当たらない。
東京本社移転のお知らせ

カンダスクエア

ちなみに、同建物内には以下の関連会社が入居している。
赤字は任天堂の子会社。

  • 任天堂販売(株)
  • ニンテンドーシステムズ(株)
  • ニンテンドーピクチャーズ(株)
  • 1-UPスタジオ(株)
  • (株)ゲームフリーク
  • (株)ハル研究所
  • (株)ワープスター

偶然集まったわけではなく、意図して集約したもので、このことは関連会社第80期(2020年3月期)経営方針説明会/第3四半期決算説明資料の12ページにて触れられている。

少し古い記事だが、東京制作部については下記記事を参照していただきたい。スイッチのプロデューサーでもある小泉歓晃氏がインタビューに回答している。

Nintendo TOKYO

任天堂初の国内公式ショップ。第一号は本社のある京都ではなく東京にオープンした。

詳細は↓をご確認いただきたい。

Nintendo OSAKA

国内2店舗目のオフィシャルショップ。

基本的に店内はTOKYOと大差ない。

Nintendo KYOTO

任天堂のお膝元、京都にできた国内3店舗目のオフィシャルショップ。
店舗自体は京都髙島屋の7階にあるが、1階には巨大なマリオが設置されており、一緒に写真を撮ることができる。

店内は■□の格子の目を色違いに並べた市松模様を基調にデザインされていて、他の2店舗と比較して和の雰囲気を感じることができる。

また、屋上ではゴールポールに掴まるマリオやレンガブロック、ハテナブロック、POWブロックといったお馴染みのギミックも設置されており、マリオの世界観に入り込むことができる。
こういったフォトスペースの充実も他の2店舗と比較して力を入れている点だと感じる。

Nintendo NY

こちらは私ではなく当サイト内のライターが訪れた際の写真である。

内容についても下記記事を参照していただきたい。

スーパーニンテンドーワールド

ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)内に作られた1つのエリアとして本施設がある。
文字通り任天堂が監修を務めたエリアであり、現時点でスーパーマリオ関連シリーズの世界観やそれらをモチーフとしたアトラクションや飲食が楽しめる。

私ではないが、既に本サイトの別のライターが単独記事を作成しているため、そちらも参考にしてほしい。

嵯峨嵐山文華館(旧時雨殿)

嵐山にある百人一首をテーマとした展示を行っている施設である。

2006年に時雨殿としてオープン。展示物の技術支援を任天堂が行っており、建設費用は山内博氏が負担している。
オープン当初から2012年までニンテンドーDSを流用した館内ガイド「時雨殿なび」が使用されていた。

時雨殿をモチーフとしたニンテンドーDS用ソフトも発売され、聞き覚えのある方も少なくないだろう。

2012年以降は施設の関係者から任天堂関係者の名前はなくなり、別団体による管理となっている。時雨殿なびや関連した設備も撤去された。
現在は施設の歩みの中に”時雨殿”という名前が残るのみで、任天堂に関連する記述や設備は存在しない。

灰孝本店

読み方は”ハイコウホンテン“。 ではなく であることに注意したい。
任天堂創業者山内房治郎氏の玄孫、2代目社長山内積良氏の曾孫にあたる山内一正氏が経営する建設資材などを扱う企業である。

創業者はなんと山内房治郎氏。創業者が同じという意味で任天堂とは縁深い。房治郎氏が石灰問屋”灰岩”を継いだ際に屋号として”灰孝本店”に改めている。

任天堂との関連性はあるものの、子会社であった時期もなく、任天堂ファンにとっての聖地とするにはこじつけに近い。

これらの情報は以下の記事の冒頭で触れられている他、灰孝本店のホームページのhistory内にも記載されている。

murmur coffee kyoto

灰孝本店には一正氏がオーナーでもあるカフェ「murmur coffee kyoto」(マーマーコーヒーキョウト)が併設されている。

ひっそりとしていて見逃すような立地

トーストセットがメイン。コーヒーはいくつか種類があり、なんとなくそれっぽさを感じさせるネーミングの丸福ブレンドもある。写真は実際に訪れた際のもの。

建物の位置は上述した旧任天堂本社と目の鼻の先。聖地巡礼は見て回ることが多くなり、あっさりと終わってしまうためカフェで休憩を挟むと気分転換もできて良いかもしれない。

南ヤサカ交通(ダイヤタクシー)

本記事の中でも異色となるのが、このダイヤタクシーだろう。
灰孝本店とは異なり、任天堂の子会社だった企業で、経営的に関わりがあった。

任天堂が花札やトランプを主軸に運営されていた時代、脱カード事業を目指し、多角化経営に取り組む。
その際の事業の内の1つがタクシー事業である。

残念ながら売上は振るわず経営不振に陥り、多角化経営路線を撤廃。ダイヤタクシーは名鉄グループに譲渡され、現在はヤサカグループの南ヤサカ交通として、任天堂の手を離れた今も京都市内を走っている。

ちなみに、ヤサカグループではシンボルの三つ葉のクローバーマークが施された朱色の車体を使用しており、スプラトゥーン3のリュウグウターミナルではよく似たタクシーが走っている。四つ葉のクローバーになっているが、どう考えても元ネタはかつてのダイヤタクシーでもある現ヤサカグループだろう。

インテリジェントシステムズ

ファイアーエムブレムシリーズ、パネルでポンシリーズ、ファミコンウォーズシリーズ、引ク押スシリーズなどで有名なインテリジェントシステムズの社屋。

上述したとおり2013年まではマリオクラブと同居していた。

現在の住所は京都市東山区福稲上高松町…
実は、これ、任天堂の旧本社の敷地の一部です。
任天堂の建物の一角を使ってお仕事をされています。
すぐに顔を合わせて打合せできるのでソフトの開発にとても便利なんだとか。

https://www.nintendo.co.jp/nom/0703/12/index.html

N.O.Mの記事内には、任天堂関連施設の敷地を使用していたことが分かる。

関連会社

以下、国内の関連会社をまとめる。関連施設を巡る際の参考としてほしい。

子会社

https://www.nintendo-sales.co.jp

非連結子会社

株式会社ワープスター

公式ホームページが存在しない。社長が訊く「毛糸のカービィ」にて触れられているので、ご確認を。

関連

さいごに

2020年の寄稿時点では、ニンテンドーオンラインマガジン(N.O.M)が貴重な情報源であった。
だが、残念ながら2022年4月~5月頃にN.O.Mは閉鎖され、閲覧不可能となってしまった。本記事では世界最大のウェブサイトアーカイブ、Wayback Machineのリンクを使用している。

開発者に訊く企画は多数存在するが、公式に自社の内部を取材する企画は今となっては貴重である。

また、創業元でもある山内家については下記サイトを参考にさせていただいた。
4代目社長岩田氏以降は山内家の経営ではないことや3代目社長山内博氏が既に亡くなっていること、博氏のご子息克仁氏が2016年に任天堂を退社していることから山内家の印象は薄くなってきているが、任天堂の歴史や聖地を調べる上で欠かせない存在である。

本記事で取り上げたもの以外にも任天堂ホームページには関連会社が記載されているので、聖地巡礼の際は参考にしてもらいたい。

余談

学生時代に似たような記事を書いたが、今思えば情報も少なくあまりアテにならない。興味があればご覧になっていただきたい。

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