任天堂関連施設とその歴史

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任天堂ファンにとって京都は正しく聖地といえるエリアである。

私も漏れなくそのファンのうちの1人であるが、ネットの世界にはあんなにも身近に、たくさん同士がいるのに、不思議なことに現実世界には意外と聖地巡礼までしてしまうファンは少ない。

今回は私が実際に訪れたことのある任天堂の聖地を紹介していこうと思う。
本記事は2020年4月に投稿、2022年~2023年に更新したものである。既に古い情報となってしまっているものもあるので、その点はご了承いただきたい。

学生時代に似たような記事を書いたが、今思えばあまりアテにならない。興味があればご覧になっていただきたい。

これから紹介する施設は一部を除いて何かが見学できたり、体験させてもらえるようなアミューズメント・観光施設ではないので、勝手に入場しないようご注意を。

任天堂本社開発棟

任天堂といえばこの景色!」と言う人も多いのではないだろうか。画像は本社開発棟の入り口である。
観光シーズンであれば任天堂前で記念撮影する外国人がいることもある。任天堂ファンにとっては京都旅行の際はぜひ立ち寄りたい場所だ。

開発棟は2014年に完成。見慣れた景色だが後述する施設と比較すると歴史は浅い。
設計は日本設計が行っており、日本設計の公式ホームページにも実績として記載されている。

一般人は当然ながら内部を伺い知ることはできず、任天堂の社員や任天堂と取引があるなどビジネス上関係のある立場にでもならない限りファンの夢は叶わない。

かつては株主総会の会場として使用されており、任天堂の株を購入すれば正規ルートで潜入可能だった。最高級のファングッズといっても過言ではないが、現在は株主の増加から外部の会場を借りての開催となっている。今後本社で開催される年があることを願いたい。
私も2023年の株主総会に出席しており、以下記事にてその当時の様子を残しているのでぜひご一読いただきたい。

その他、本社で開催された際の株主総会のレポートをあげている方々もいる。過去数年分の中で面白かった記事をピックアップする。

任天堂本社(三代目)

開発棟に隣接するもう一つの建物が任天堂本社。3代目であり現時点で最新の任天堂社屋となる。2代目については後述する。

内部の様子は任天堂の公式記事でたびたび公開されていた。

おどるメイドインワリオの説明書16ページ目には本社らしき建物が駅から徒歩3分と記されていたが、3分では到着しない。5~10分程度はかかるだろう。

創業当初家屋

創業当初の写真は翻訳などを行っているFlorent Gorges氏が2年ほど前に公開していた他、同時期のヤフーニュースにも記載されていた。
(ヤフーニュースについては現在は削除されてしまっている)

立地についてだが、山内ファミリー公式アカウントにより、創業当初の情報が以下の通り一部公開されている。

ツイートの内容は主に後述する旧任天堂社屋についてだが、旧任天堂社屋の所在が“創業地の家屋の隣”とされているため、これら2つの社屋は隣接していたようだ。

実際に地図を確認すると、建物の名称の真偽はGoogleマップに依存するため定かではないが、確かに丸福樓に隣接して山内任天堂が存在していることが分かる。南側が旧任天堂社屋(丸福樓)であるため、北側が創業当初の家屋と思われる。ただ、現存する建物と外観が異なるため、建替、リフォームなどは行われているのではないか。

旧任天堂社屋(丸福樓)

そして、こちらがその創業当初家屋の南側に位置する旧任天堂社屋である。
※写真は2020年3月時点2022年4月以降は丸福樓として営業されている。

丸福のロゴやトランプカルタと記載されたプレートなど当時の任天堂を想起させるような佇まいが特徴だ。

丸福とは

創業者山内家の屋号であり、任天堂が製造する花札には品質担保の意味も含めてこのロゴマークが印字されていた。
かつての任天堂の社名の中には「株式会社丸福」と丸福の名を冠している時代もあり、任天堂のワードの中でも重要なワードの1つである。覚えておこう。

“福”を○で囲ったロゴ

ちなみに、現在製造されている花札にも丸福のロゴマークの印字がなされている他、任天堂のゲームの随所で見掛けることもある。何気なく使用されているのでスルーしてしまうこともしばしば。

あつまれどうぶつの森内にも丸福は登場している

今では丸福樓として一般人が内部に入れるようになったが、それ以前は一般公開はされていなかった

ただ、わずかな機会として、かつての建物のオーナーで灰孝本店の社長でもある山内一正氏と京都のミニツアーを主催するまいまい京都によって内部を見学できるツアーが開催されたこともあった。
※灰孝本店については後述する。

上記ツアーとは無関係だが、内部を公開しているサイトもある。撮影できた経緯は不明。

旧社屋(丸福樓)は任天堂公式ホームページ内の会社沿革にも記載がある。

任天堂本社(二代目)

2000年まで本社として使用されていた社屋。現在はリサーチセンターやテストプレイチームでもあるマリオクラブの社屋として使用されている。また、2003年~2013年にはファイアーエムブレムシリーズなどで有名なインテリジェントシステムズも入居していた。

任天堂の移転に際して下記のような記事も公開されている。

マリオクラブ株式会社の公式ホームページ内にも本社屋の写真が使用されている。

任天堂東京支店

大手企業は大半が東京に本社を構えているが、ご存知の通り任天堂は京都に本社があるため、東京は支店・支社となる。東京本社ではない。ぜひ覚えていただきたい。

東京制作部については下記記事を参照していただきたい。スイッチのプロデューサーでもある小泉歓晃氏がインタビューに回答している。

任天堂宇治小倉工場

近鉄京都線小倉駅のすぐ近くにあるのが宇治小倉工場である。

N.O.Mに宇治小倉工場に潜入したレポート記事が存在している。トランプや花札の製造を行っていたようだ。

また、今後は「任天堂資料館」として使用される。2023年度に開業予定。

任天堂宇治工場

宇治小倉工場と似ているが、こちらは宇治工場。立地は奈良線の宇治駅が最寄りとなる。

上述した宇治小倉工場が当初は宇治工場という名称であり、本施設が建設された際に、現在の宇治小倉工場に改名され、本施設を宇治工場としたようである。
2016年11月には宇治小倉工場のメイン業務を宇治工場へ移したことで、宇治小倉工場は大きな役目を終えていた。

さて、私が訪れた際は宇治小倉工場~宇治工場のルートを組んでいたが、想像以上に宇治小倉工場と宇治工場の間が思いの外離れており、次回以降は徒歩以外の手段を考えたい。

真似をする場合は下記ルートを参考にしてほしい。(老ノ木となっている箇所が宇治小倉工場である)

宇治駅から京都駅へ戻る途中にスターフォックスのアイデアの原点とも言われている伏見稲荷大社や前述した2代目任天堂本社(最寄り駅は鳥羽街道)に寄ることも可能だ。

灰孝本店

もはやファンでさえも見に来ない領域

読み方は”ハイコウホンテン“。 ではなく であることに注意したい。
任天堂創業者山内房治郎氏の玄孫、2代目社長山内積良氏の曾孫にあたる山内一正氏が経営する建設資材などを扱う企業である。

創業者はなんと山内房治郎氏。創業者が同じという意味で任天堂とは縁深い。房治郎氏が石灰問屋”灰岩”を継いだ際に屋号として”灰孝本店”に改めている。

以上より任天堂との関連性はあるものの、任天堂ファンにとっての聖地とするにはこじつけに近い。興味がある方のみ寄ってみてほしい。

これらの情報は以下の記事の冒頭で触れられている他、灰孝本店のホームページのhistory内にも記載されている。

murmur coffee kyoto

同建物には一正氏がオーナーでもあるカフェ「murmur coffee kyoto」(マーマーコーヒーキョウト)が併設されている。

ひっそりとしていて見逃すような立地

トーストセットがメイン。コーヒーはいくつか種類があり、なんとなくそれっぽさを感じさせるネーミングの丸福ブレンドもある。写真は実際に訪れた際のもの。

建物の位置は上述した旧任天堂本社と目の鼻の先。聖地巡礼は見て回ることが多くなり、あっさりと終わってしまうためカフェで休憩を挟むと気分転換もできて良いかもしれない。

インテリジェントシステムズ

ファイアーエムブレムシリーズ、パネルでポンシリーズ、ファミコンウォーズシリーズ、引ク押スシリーズなどで有名なインテリジェントシステムズの社屋。

上述したとおり2013年まではマリオクラブと同居していた。
下記記事にも

現在の住所は京都市東山区福稲上高松町…
実は、これ、任天堂の旧本社の敷地の一部です。
任天堂の建物の一角を使ってお仕事をされています。
すぐに顔を合わせて打合せできるのでソフトの開発にとても便利なんだとか。

https://www.nintendo.co.jp/nom/0703/12/index.html

とあり、任天堂関連施設の敷地を使用していたことが分かる。

Nintendo TOKYO

任天堂初の国内公式ショップ。第一号は本社のある京都ではなく東京にオープンした。

本サイトでもレポートしているのでご覧いただきたい。

Nintendo NY

こちらは私ではなく当サイト内のライターが訪れた際の写真である。

内容についても下記記事を参照していただきたい。

スーパーニンテンドーワールド

ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)内に作られた1つのエリアとして本施設がある。
文字通り任天堂が監修を務めたエリアであり、現時点でスーパーマリオ関連シリーズの世界観やそれらをモチーフとしたアトラクションや飲食が楽しめる。

既に本サイトのライターが単独記事を作成しているため、そちらも参考にしてほしい。

さいごに

寄稿時点では、ニンテンドーオンラインマガジン(N.O.M)が貴重な情報源であった。
だが、残念ながら2022年4月~5月頃にN.O.Mは閉鎖され、閲覧不可能となってしまった。本記事では世界最大のウェブサイトアーカイブ、Wayback Machineのリンクを使用している。

開発者に訊く企画は多数存在するが、公式に自社の内部を取材する企画は今となっては貴重である。

また、創業元でもある山内家については下記サイトを参考にさせていただいた。
4代目社長岩田氏以降は山内家の経営ではないことや3代目社長山内博氏が既に亡くなっていること、博氏のご子息克仁氏が2016年に任天堂を退社していることから山内家の印象は薄くなってきているが、任天堂の歴史や聖地を調べる上で欠かせない存在である。

本記事で紹介している施設以外にも任天堂ホームページには関連会社が記載されているので、聖地巡礼の際は参考にしてもらいたい。

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